横浜ソープ ナイスデイ「ひなた」の「ヒナニウム」

横浜ソープランド
港崎遊郭

開港から5カ月経った......

1859年11月10日

晴れて港崎遊郭が完成!!

場所は予定通り、関内の開港場近く。
現在の横浜公園なのです。

ナイスから徒歩圏内なので、
記念撮影してきました!

港崎遊郭の立ち上げに幕府さんが…

江戸の吉原に
負けずとも劣らない
遊郭にしてね♪

とか仰ったり…

今後の外交に
必要な場所だから♪

(コレは大きな声では言えないんだけど…)

と仰ったもんで!

遊郭の立ち上げには
それはそれは大変な気合が
入っておりましたよ、ホント。

それではご覧頂こう、
出来上がった港崎遊郭がコチラ!!

まさに!!
お見事なのです!!

建設物は江戸の吉原をお手本とし、
外国の方の接客は長崎の丸山遊郭を参考にしていたそう。

しかしながら幕府さんの、
外国の方のおもてなしに
力を注ぎたい気持ちとは裏腹に…

「外国人さんの接客」に対し。

世間的に大変な偏見があり
差別も酷かったため、
遊女さんが中々集まらなかったようです。

世間の偏見が次第に薄れ、
外国の方々の登楼をビジネス
として受け入れられる…

そんな遊女さんが増えるのは、
開港からもう少し......先の話。

160年近く前のこの場所で…

人々の挑戦、困惑、悲しみ、喜び…
様々な思いと行動が、
新たな時代を築き上げていく。

このスタートなくして、今はないんだね。

ところが!

1866年11月26日、港崎遊郭焼失。

鎮火までに約14時間かかる大火事が発生。
遊郭の関係者だけでも400人以上が犠牲になった。

すぐに仮設の遊郭を太田町にてスタート。
しかし移転の費用などの問題から、
営業を再開出来たのは…

ほんの数軒だったそう。

そして次のステージ「吉原遊廓」の時代が始まるのです!

―――――港崎遊郭。

跡地ー横浜公園

敷地-約1万5000坪。
娼楼数-最大16軒。
総遊女数-約400人。

港崎遊郭の跡地が
横浜公園として生まれ変わるのは、
それから10年後の1876年。

◆是非覚えて!横浜遊郭キーワード◆

【佐藤 佐吉】

・代表的な廓
「岩亀楼(がんきろう)」の亭主。

・金刀比羅さまを勧請した。

・横浜遊郭を語るに欠かせない
キーパーソンなのです。

港崎遊郭の建設は
有志の共同事業で進んでいたけれど、
先立つものの負担の大きさに離脱。
最終的には佐吉さんが一人で
成 し 遂 げ た !

彼は誰より動き、投資をし、勉強をし、
遊郭の発展
に尽力を注いでくれた人のようです。

横浜公園には彼が主を務めた「岩亀楼」の石灯篭があるです!

……し、しかしコレは。
港崎遊郭時代 (江戸末期) に作られたモノではなく、
明治初期の石灯篭。

ここに設置された経緯については諸説あるみたいですが、
本当のところは不明なのです。

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