横浜ソープ ナイスデイ「ひなた」の「ヒナニウム」

横浜ソープランド
吉原遊郭(吉原町遊郭)

港崎遊郭の焼失後、
太田町にて6カ月間の仮設営業を終えると。

1867年7月1日
新たに横浜遊郭が建設されたのです!

場所は現在の羽衣町付近。
港崎遊郭よりも小規模です。

その名も…

「吉原遊郭」

とキターー!!

建設が決定した当初。
ここにはまだ「町名」が無くて、
江戸の吉原遊郭にあやかって
名付けられました。

…ですよねぇ。はぁ。
コリはもう…
やっちまった感 満載なのです(汗)
そう感じるのは、ワタシだけだろうか?

ちなみに!
後の町名より「羽衣遊郭」と呼ばれるコトもあったそう。

この吉原遊郭。
大きな大きな変化がありました。

前回の港崎遊郭の火災から学び、
裏門が複数設けられました。
避難経路の確立です!
今も昔もコレ大事!!

そして…

1867年9月に遊郭の敷地の中に病院
作られたのです!
梅毒の検査と治療を主に始めます。

日本初の駆微病院(性病の病院)
「吉原町検微病院」が
横浜に誕生したのです!

外国のみなさんが、
日本人の性病に対する認識の低さ」を
問題視していたそうで、
開業したその病院には
沢山の検査希望者が訪れました。

なんと!

遊女さんの総数に対して、
約4倍の人々が検査に来たのです。

吉原町検微病院のイギリス人医師は、
横浜を機に、
熱心に日本中の遊女さん達に梅毒の定期検査を広めていきます。

コレぞまさしく文明開化♪

現代にもシッカリと根付く
STD定期検査の風習は、
横浜遊郭が発祥だったのです!!

働く側利用する側も、
この習わしを今後も受け継ぐです!

誇らしく!胸を張って!!

ところが…

1871年、とある楼より出火。

火の回りが大変早く、
教訓を元に作った裏門へと逃げる間に…
約30名が火の手に阻まれ命を落としてしまった。

―――――吉原遊郭。

跡地ー羽衣町を中心とした伊勢佐木モール近辺


※写真は羽衣町にある厳島神社(Wikipediaより)

敷地-約8000坪。
娼楼数-最大17軒。
総遊女数-不明。

◆是非覚えて!横浜遊郭キーワード◆

【岩亀楼と神風楼】

・横浜遊郭の代表的な二大廓
・岩亀楼は芸を売るサービスを重視
・神風楼は甘くとろけるサービスを重視

港崎遊郭の頃より、
圧倒的な人気を博した岩亀楼に
ライバルが登場します!

それが「神風楼(じんぷうろう)」
港崎の頃は「伊勢楼」という名でした。


※神風楼の写真 協力はYokohamaPostCardClub様より

神風楼さんは自らの建物に、
「Nectarine No.9」という
外国人さんから頂いた看板を掲げ、
他に類の無い特徴ある建物と、
色気を前面に出した接客で一世風靡!


伝統を継ぐ岩亀楼さん、
新しき挑戦の神風楼さん。

今も昔も「お店のカラー」は存在していたのですねぇ。

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