横浜ソープ ナイスデイ「ひなた」の「ヒナニウム」

横浜ソープランド
永真遊郭

移転を繰り返す横浜遊郭。
やっと、横浜遊郭最後の場所にやってきました。


時代は明治15年(1882年)


永真遊郭の始まりです。



※永真遊郭 大門 写真は「YokohamaPostCardCulb」様より


しかしそこに、横浜遊郭の立役者である…
「岩亀楼」の佐藤佐吉さんの
元気な姿がありません。

高島遊郭の時代、実のところ「岩亀楼」の経営はおもわしくなく。
佐吉さんも病に倒れてしまったのです。


そして1883年1月。
永真遊郭で本当の意味での
再建をなせぬまま、
佐吉さんは帰らぬ人となりました。



※永真遊郭の商店 写真は「YokohamaPostCardCulb」様より


そんな岩亀楼の衰退とは裏腹に。
佐吉さんの不屈の魂は遊郭に生き続けてるかのように。
永真遊郭は大きく栄えていくのです!!



※永真遊郭 遊女 写真は「YokohamaPostCardCulb」様より


時代は目まぐるしい変化の時代。
街も、人も、どんどん、どんどん。
現代に近づいてきます。



※永真遊郭 神風楼の菊 写真は「YokohamaPostCardCulb」様より



永真遊郭は次第に、
多種多様な飲食店や
他の娯楽施設などにも囲まれ、
今の横浜ソープのような
地域全体を含めての大人の社交場

となっていったのです♪


「多種多様な飲食店」
…実はそれが!!!
ひーさんが愛してやまない、
横浜橋商店街の始まりなのっ!


※現在の横浜橋商店街 お写真はヒナニスト様より

しかし…永真遊郭にも、
様々な困難が降りかかります。
火災、関東大震災、第一次世界大戦

その度に、
沢山の人々と楼閣が犠牲となりました。

しかし。


以前よりも文明が進んでいます!
多くの失敗からの学びもあります!
災難が訪れる度に遊郭全てが、
一から再建する時代ではなくなっていた!

しかし、その進化した時代こそが
遊郭を閉ざしてしまいました。



1958年4月1日
売春防止法施行。
日本から一斉に、遊郭が無くなります。



開港から約100年。
外交、治安維持、経済発展を
常に裏から支えてきた横浜遊郭も
この時に幕を下ろしました。

永真遊郭は76年間
大きく在り続けました。
それは横浜遊郭の中でダントツに長い記録なのです!!

スゴいんだよ!!!
最初に紹介した、
現在の横浜ソープ 約60年の歴史より
ずっと長いんだ!!!

―――――永真遊郭。

跡地-金比羅大鷲神社(横浜橋商店街)付近

※写真は金比羅大鷲神社 (ヒナニスト様 提供写真)
敷地-正確な明記わからず。
娼楼数-最高1800人。
総遊女数-最大80軒。

◆是非覚えて!横浜遊郭キーワード◆

【金刀比羅・大鷲神社】
みんな大好き♪こんぴら様♪ お酉様♪ ひーさんもよく行く場所♪

【金刀比羅さま】
・港崎遊郭発足時「岩亀楼」の佐吉さんが
香川県仲多度郡の金比羅大権現より分霊していただきお祀りした。

・遊郭移転の度に、
金刀比羅も移転を繰り返す。

【大鷲さま】
・高島遊郭発足時に、東京の吉原に倣い、勧請しお祀りした。
・「酉の市」も勧請した頃より
ずっと行われている。



歴史を感じる、神社の石柱。
「遊廓」の字が刻まれている。
これは永真遊郭が
大鷲神社へ寄贈したもの。
横浜大空襲も潜り抜け、
現在も柱は立っている。


★みんなの楽しみお酉様★



毎年11月に酉の市が行われます!


永真遊郭の女性のみなさんは、
お客様と一緒にお酉様へ出かけ、
そこで頂いた熊手の数が
一種のステータスだったのだとか!


ひーさんも毎年お酉様に行って、
熊手を買ってます♪

自分で買ってるけどね!!!!!!!



自然と熊手を買うようになったのも…
やはり現在と歴史が共鳴するパワーに、
引っ張って貰えていたからなのかも知れません。
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